ロンドンにいた72年冬までに、さらに数本のメタルフロントが作られた。ロンの口利きは絶大だったし、トニーはギターも上手かったので、とたんに数々のギタリストが工房を訪れるようになる。ELPのグレック・レイク、ウイッシュボーン・アッシュのロリー・ワイズフィールド、T-REXのマーク・ボランらが、このギターをもってワールドツアーをし、プロモーション・ビデオを撮影したから、今度は世界中のギタリストから「あれはなんというギターだ」となった。手狭なロンドンでは、オーダーに答えられなくなり、都会の喧騒をのがれ、ケント州チャザムに引っ込むが、世間は放してくれなかった。
マーク・ボランのプロデューサーである、トニー・ヴィスコンティは同時期にシンク・メタルの12弦をオーダーした。わざわざ12弦用に削りだされたブリッジとテールピースはまさしくハンドメイドの証であり、エングレイヴされたアラビア文字は、デヴィッド・ボウイがエポックメイキングなツアー「アラジン・セイン」でメインに使用されたことでも記憶に残っている。
ロリーもマーク・ボランも複雑なプリアンプを内蔵した、ロータリースイッチ付きのスペシャルオーダーをしたが、それらには電池格納部の大きなメタルプレートが、極を刻印されて貼り付けられている。レギュラースケールで24フレットという信じがたいスペックは、ファイアーバードよりも長く突き出たネックが、スリムなマークやローリーにはうってつけで、少女漫画に登場するロックミュージシャンが飛び出してきたような、絶妙のルックスを醸し出した。
日本人にとって、この時期特に思い入れのあるゼマイティスは、テツ・山内氏のためにトニーが精魂込めて作り上げた、メタルフロントのベースだろう。漆黒にもにたディープなブラウンが、艶光するまで磨きこまれたボディ、丹精なスクロールヘッドにはパーレーツ・エンブレムが純銀で飾られ、メタルにはこれでもかとリーフのエングレイヴィングが施されている。まさにテツのためのオートクチュールだった。ほかの誰が弾いても似合わない、テツのためのデザインだ。
そしてこのベースの詳細は、アメリカのGuitar Player誌に掲載され、日本で「楽器の本」に翻訳版に登場した後、世界でもっとも知れ渡ったゼマイティスの一本となっていった。そのインタビューでトニーは、「楽器の塗装は薄く強くないといけない。ニスを繰り返し塗っては磨き、この工程を最低14回繰り返す」と説明している。
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